瞑想の体験の段階

大抵の人もそうかもしれないけど、僕にはこの人生でどうしても成し遂げたいこと、叶えたい夢というのは特にない。

一つあげるとすれば、瞑想を通じて人の意識の奥底にある「ブラフマン(空)」を知りたいと思う。

般若心経で説かれているようにこの世界は空(くう)で、空こそが唯一の真理で、この世界と自分自身の本質である。

空とは「実体がないこと」だとよく訳されるが、そうじゃなくて空が「唯一の実在」である。

その空(真理)を自分の中に発見すること…つまり瞑想することが自分のライフワークだと思っている。

自分の外側にあるものは何ひとつ、人生の(最終的な)目標にはなり得ないと思っている。

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空を経験するには自己流の瞑想では不可能で、ビージャマントラと呼ばれる、瞑想するためのエネルギーを伝授してもらう必要がある。

僕も9年前、空を経験する瞑想の伝授を受けた。

サボりがちだった時期もあるが、それから今までずっと続けてきた。

でも、いまだに決定的な「空の体験」は得られていない。

日々のマントラ行や、聖者の祝福を受けたおかげもあって、最近はとても気持ちいい瞑想体験が得られることが多い。

それでも、それが本当のサマーディ(悟りの体験)ではないことは分かる。

以前、瞑想の師に「空が分からない」と言ったら、

「こっちは今までどれだけの時間瞑想してきたと思ってるんですか。簡単に分かられてたまるかです」

と言われたことがある。

たしかに深い瞑想の境地を持っている人は、一定期間どこかにこもって一日じゅう瞑想し続けるような経験を一度はしているようだ。

僕も空を知りたいなら、一度徹底的に瞑想してみてもいいような気もするけど(どうせ元々一日部屋にこもってるし^q^)、そこまでする意欲はわいてこない。

(とはいえ、毎日2時間くらいは瞑想しているが^p^)

そして最近なんとなく思うのは、実は本当に心から悟りの体験を求めてはいなくて、ある程度気持ちいい瞑想ができていればそれで満足なのかもしれない。

それでも十分瞑想は良いものだし、それも空の体験ではあるからね。

そして瞑想体験を深めることよりも、現実での楽しさや幸福を味わいたいという気持ちの方がまだ大きいんだと思う。

といっても、 瞑想がない生活は僕には考えられないけど。

占星術的にも、今はどうみても瞑想にふける時期ではない。

土星期に入る80代以降になったら、瞑想三昧の生活を送るかもしれない。

 

そういえば、こういうことを言う人がいる。

「瞑想して気持ち良くなって、それで何が変わるの?」

でもね、「変わらなきゃいけない」と思ってる時点で、本当の瞑想体験を知らないということなのだ。

(おれもだけどな^p^)

 

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