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東北大震災の追悼ムードに思うこと

きのう3月11日は、東北大震災の7周年の日だったようだ。

当時の僕は珍しく外で働いていたのだが、その日はたまたま休みで、家で遅い昼食を食べていたのを覚えている。

揺れだしてもしばらくは無視して食事を続けていたのだが、なかなか収まらず、しかも揺れ方がちょっと普通じゃないので、さすがに母と一緒に家の外に出た(当時は実家暮らし)。

でも結局、物が壊れたりすることもなく、停電以外は何の被害もなかった。(あとは豆腐が一時品薄になったくらいか^p^)

直接被害にあってなくても、この地震をきっかけに精神的に不安定になったり、人生観が変わった人も多かったという。

毎年この日になると、ネットでも追悼の書き込みをする人が多い。

さすがに、時間までピッタリ合わせての「黙祷ツイート」はイベントに便乗してるようにしか見えないが^q^

でも個人的に、震災の直後もそうだったが、毎年一度やってくるこの追悼ムードに対してずっと違和感を感じてきた。

最初は自分の考えが間違っていると思っていたのだが、間違ってようが何だろうが自分の正直な気持ちを尊重する、さらにそれを発信するのが大事だと思うようになった。

 

その違和感は何かというと、便乗してる人が多いというのもあるが、そもそも「なぜみんなそんなに騒いでるのか?」というのが感覚として理解できない。

もちろん、東北大震災は一万五千人以上の死者が出た大災害だった。でも7年たった今現在、もう僕の生活には何も影響はない。

冷たい言い方だが、復興の進み具合に関しても、被災していない僕ら個人の生活には特に影響のない話だと思う。

放射能汚染の問題はあるけど、そっちはなぜかあまり注目されてない気がするし。

なんて自己中で、冷たい奴と思うだろうか?

でも、たとえばこれがもし日本じゃなくて、海外で起きた地震だったら?

これほど日本で騒がれたり、毎年黙祷したりするだろうか?

結構昔だけど、2004年のスマトラ島沖地震では東北よりもさらに多くの犠牲者が出た。

でも日本では一時的に話題になった程度だったと思うし、もちろん追悼や黙祷の書き込みも見たことはない。

仮に2011年3月11日の地震が東北ではなく、どこか遠い国で起きていたら日本ではもう忘れ去られていると思う。

それなのに、日本の災害となると「忘れてはならない」「他人事と思ってはいけない」という空気になる。

よその国の被害はすぐに忘れるのに、自分の国の災害には何らかの形でコミットしなければいけない、という風潮があるのが腑に落ちないんだと思う。

(復興特別所得税は妥当なものだと思うけど。)

これは僕個人の感覚だと思うけど、僕は「帰属意識」が薄いんだと思う。

日本の言葉や文化になじんではいるけど、自分が日本という国に属している国民の一人だという意識はあまりない。

自分(知人や親族も含む)に影響が及ばない範囲の出来事であれば、災害が起きたのが日本であっても外国であっても、もちろん国内の方が関心はあるけど本質的な違いはないというのが正直なところ。

だって、会ったこともない、顔も知らない人の死を悼んでいたらキリがない。

テレビのニュースでは色々な事件や事故で命を落とした人が毎日のように報じられているけど、それにいちいち心を痛めるだろうか?

あとニュースにはあまり出ないけど、交通事故で亡くなる人も毎日いる。もちろん世界中で。

それなのに、なぜ国内の震災で亡くなった人たちだけが追悼されるのだろうか?

犠牲者が多いというのは分かるけど、どんな地味な事故で亡くなっても、大災害で亡くなっても、人の記憶に残ろうが、残るまいが、被害者一人一人にとっては命は一つしかなく、同じことだと思うのだ。

 

…というわけで、個人的な感情から追悼するのはもちろんいいことなんだけど、追悼ムードに同調してる人があまりに多く、自分が間違っているかのように思えてきたので一言物申しておきたかった^p^

まあ、ちょっとばかし人間性に欠陥があるのだとは思うけど^q^

 

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