死の恐怖にとらわれたyudofu少年(17)への20年越しの助言

ちょーひさびさ更新でっす^p^💕

最近、歯が痛みだして歯医者に行ったのだが、思ったより虫歯が進行していて根管治療した後銀歯を被せる必要があると言われた。

今までずっと銀歯ゼロを貫いてきたから、口の中に金属を入れるのに結構な抵抗がある(^_^;)

(といっても、子供の歯の銀歯はあったような…^p^)

かといって、保険が効かないセラミックの歯は1本8万とかかかるので、予算の都合上選択肢に入らず…

(一本だけならありだが、2本なのよ…)

まあ、余裕ができた時にでもセラミック歯に交換すればいいとは思うのだが。

こういう時に気前よく金を出せる甲斐性がほしいねぇ^q^

 

大げさかもしれないが、こんなふうに体の一部をいじらなければいけなくなった時、

普段は忘れている「肉体の死」というものをリアルな実感とともに一瞬だけ思い出す。

あ、そういえばおれもいつかは死ぬんだったなー、と。

 

高校2~3年の時、きっかけはさだかではないが、

自分にもいつかは訪れる「死」というものをリアルに実感してしまい、しばらくの間死の恐怖にとらわれてしまったことがある。

まだ十分若くはあったけど、平均寿命まで生きるとしても、すでに死までの猶予期間の20%は過ぎてしまったと思うととても死が他人事とは思えなかった。

その時ひそかに、「大人ってすごいな」と思っていた。

自分の倍とかそれ以上の年月生きているということは、それだけ死に近づいているということ。

それなのに、死の恐怖に悩まされているようには見えない。

ということは、大人はそれぞれのやり方で「死」と折り合いをつけているに違いない。

死を克服できるような、その人なりの哲学を持っているに違いない。

だったら、それをおれにも教えてくれよ。死の恐怖からおれを救ってよ!

そんなふうに思っていた。

まあ、実際に親や教師に相談することはなかったが^p^

 

そして、今の僕は当時「すごいな」と思っていた大人の年齢になったわけだが、

死を克服したとはとても言えないものの、当時の僕の疑問に答えられるようにはなったかもしれない。

当時の僕が喉から手が出るほど知りたかった疑問に…

 

死を恐れるyudofu少年への回答

まず、長く生きてるからって死と折り合いがついてるなんてことはないと思う。

実際には君のように自分の死をリアルに実感してるやつなんて多分ほとんどいない。

病気で余命宣告された人くらいじゃないか?

元々余命なんて誰だって有限なのに、余命宣告された途端に「ガーン!」と愕然とする。

それまで自分の死というものを実感をともなって理解していなかった証拠ではないか?

 

じゃあ死が近づいた人がどうやって死を克服するかというと、世界的に見れば「宗教」がその役割を担っている。

日本でも死ぬ時に戒名をつけたり、葬式をあげたりするからね。

でも現代人、特に日本人は「科学で証明できないことは一切信じない」価値観が一般的だから、

宗教は気休めにはなっても、根本的な救いにはならないんだ。

実際、宗教によって言ってることがバラバラだったりするしね。

 

じゃあ、無宗教の人はどうやって死を克服するのか?というと、

子供を作って、自分のコピーを残すことで死の恐怖を軽減するというのが、どうやら一般的なようだ。

たしかに自分によく似た存在がもう一人(2人、3人…)生まれることで、自分という存在が少し薄められるというのはあるのかもしれない。

そして、自分の遺伝子を持つ子孫が自分の死後も生き続けて、さらに次の世代へと命をつないでいく…。

でも、おれは個人主義だからそんなことでは到底納得できない。

多分、君にも納得できないことと思う^p^

 

最終的におれがたどり着いたのは、「本当の自分」を知ること。

つまり悟りを得ることなんだ。

本当の自分って何よ? 自分は自分でしょ?と君は思うかもしれない。

でも残念ながら、「本当の自分」は普通の意味での「自分」とは全く異なる存在なんだ。

「本当の自分」はこの宇宙が誕生するよりも前からずっと存在し続けていて、この肉体が死を迎えた後も一切変化することなく永遠に存在し続ける。

そして気の毒だが、君が自分だと信じているその自分は全くのニセモノなんだ。

いきなりこんなことを言っても、君は聞く耳を持たないと思う。

だが、悟りを開いた聖者たちが皆そう言っているのだ。

「なんだ結局宗教かよ」と君はバカにするかもしれないが、科学を重視する現代的な価値観だけでは死を克服することなど絶対に絶対に不可能だ!

おれも初めからこんなことを信じてたわけじゃない。

瞑想などの体験を重ねて徐々に信じるようになったんだ。

 

でもこれだけは覚えておいてほしいのだが、自分の力で瞑想しているだけではいくら頑張っても到底「本当の自分」を悟ることなどできない。

悟りを得るためには、聖者と神の恩寵が絶対に必要なのだ。

その点、君は神との縁には恵まれているから心配しなくてもいい。

なお、神が存在するかどうかの議論は省略させてもらう。

それは説明しても意味がなく、自分の体験を通じてしか知ることができないからだ。

以上!

 

…んー、当時の自分がこれを読んだとしても、素直に受け入れるのは無理だったかも^q^

 

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